AI時代、「ヘタウマ(下手うま)」が人の価値になる

AIが文章も画像も、驚くほど上手に仕上げてくれるようになったいま、私たちの仕事は完璧さを競うことなのだろうか。整いすぎたアウトプットが似通っていく一方で、なぜか心に残るのは、ズレや粗さを抱えた表現かもしれない。

本記事では、博報堂DYホールディングス執行役員Chief AI Officer、Human-Centered AI Institute代表の森 正弥が、一見すると稚拙でありながらも人を惹きつける表現「ヘタウマ」を切り口に、完璧さへと最適化されていくAIに対して、人間だからこそ生み出せる価値とは何かを解説する。

「ヘタウマ」とは何か

「ヘタウマ(下手うま)」とは、技術的には稚拙に見えながら、計算された表現や独特の感覚によって、個性や魅力を感じさせる作風のことだと言われている。ヘタウマは「ただ下手なもの」ではない。崩れているところや粗さがありながら、そのズレや不完全さが味になり、人を魅了する。完璧であること、整っていること、技術的に破綻がないことだけが価値なのではなく、そこから少し外れているからこそ生まれる面白さがある。いわば「うまい」を超えた面白さであり、意図をもって完璧さを崩す「脱完璧」の表現だといえる。

「崩れた表現」に私たちが惹かれるのは、それが見る側の想像力をかき立てるからだ。ヘタウマな表現には、情報が足りない部分や解釈の余白、あるいは逆に定石に縛られない大胆さがある。それらを理解するには、背後にある意図を想像し、文脈を読み取り、なぜこの崩れが、この外しが、この欠如が魅力になっているのかを考える必要がある。だからこそ、ただ整った表現よりも、見る人を惹きつけるのである。

AIに「ヘタウマ」は難しい

一方で、少なくとも現在の生成AIの仕組みにおいて、AIモデルがヘタウマを生み出すことは簡単ではない。基本的にAIモデルは、報酬関数や評価指標に沿って最適化される方向で開発されており、より自然で、より正確で、より完成度の高いものを出力する方向へ進んでいくためだ。

その結果、生成物の品質は上がっているものの、表現の幅は狭まりやすくなる。たとえばLLMに事業企画や戦略を作らせると、見た目には立派で、観点も網羅的な、完成度の高い案が出来上がる。しかし、それは、ある種の品質の枠に最適化されており、競合企業が作った企画や戦略と似通ったものになりやすい。いわゆる同質化・均質化の問題である。

ヘタウマは、「ヘタ」と「ウマい」という矛盾する概念を同時に含んでおり、これを両立させることは、今のAIモデルにとって難しい。これは、RAGなどを用いて企業独自のデータを掛け合わせたり、社員の暗黙知や知見を組み合わせたりすることが重要視されている理由でもある。

そして、この矛盾を引き受けられることにこそ、人間の価値がある。AIが整え、補完し、最適化する役割を担ってくれるほど、人間には、あえて崩すことや、余白を残すこと、非最適なものを選び取ることの意味が出てくる。AI時代において人間が生み出せる価値は、完璧さだけではなく、矛盾やズレを含んだ表現の中に現れていくのだ。

「ヘタウマ」は「パラダイムシフトの兆し」である

ヘタウマとは、完璧なものを崩していった先に生まれるものだともいえる。西洋美術史を振り返ると、ルネサンス以降、ロマン主義を経て、写実主義から印象派へ、印象派から表現主義へと、表現は変化・進化してきた。印象派では、目に映った光や風景を、見えた感覚に近いかたちで描こうとした。一方で、ポスト印象派から表現主義にかけては、目に見えるものだけでなく、心の内側や感情を描くことへと関心が移っていった。

さらに時代が進むと、フォーヴィスムやキュビスムが現れる。フォーヴィスムは、色彩はデッサンや構図に従属するものではないとして、現実とは異なる大胆な色使いによって芸術家の感覚を表現した。キュビスムは様々な視覚的実験によって対象や描き手の内面も含めて再構成していった。

こうした変化は、それぞれの時代において、はじめは「崩れている」ように見えたはずだ。従来の基準から見れば、違和感やズレ、もっといえば稚拙な破綻として受け取られたかもしれない。しかし、その違和感の中から、新しいジャンルや表現の枠組みが生まれていった。ヘタウマとは、パラダイムシフトの兆しでもあるのだ。

「ヘタウマ」は「イノベーション」である

こう考えると、ヘタウマは、とりわけ「破壊的(ディスラプティブ)」と呼ばれるイノベーションとつながりがあるのではないか。映像の世界では、1980年代から2000年代にかけて、VHS、レーザーディスク、DVD、ブルーレイへと、画質や保存媒体の性能は向上し続けた。その延長線上では、より高画質で、より高精細な映像が価値を持つと考えられていた。

しかし、その後に広がったのは、インターネットをインフラとしたストリーミングサービスだった。登場当初のYouTubeにアップロードされた動画の画質は低く、「こんな素人の画質のものを誰が見るのか」と感じた人もいたはずだ。

それでも、そこには素人らしい味や、日常の一部を切り取った魅力があった。その状態は、ある意味でヘタウマに近かった。多くの人が、その気軽さや生々しさに次々と惹かれていった。高画質な映像をじっくり鑑賞するのではなく、手の中のスマートフォンの画面で、短く、手軽に、日常的に楽しむという新しい体験が広がっていったのである。YouTubeの普及にも、パラダイムシフトの兆しとしてのヘタウマがあったといえるだろう。

「ヘタウマ」は「人の仕事」である

AIモデルは、ある基準の中で完成度の高いアウトプットを出すことに向いている。整ったもの、破綻の少ないもの、既存の評価軸で見て質の高いものを生み出すことは得意である。しかし、枠組みそのものを変えることは、まだ難しい。一方で人間は、既存の基準から少し外れたものや、違和感のあるものを生み出すことができる。その違和感は、はじめはヘタウマのようなかたちで現れることがある。下手に見えるのに、なぜか気になる。整っていないのに、見過ごせない。そこに、新しい価値や変化の芽が含まれている。

AI時代に人間に残される仕事は、おそらくヘタウマを生み出すことに近づいていく。きれいに整えることや、最適化することはAIが担えるようになる。そのなかで人間がもたらす価値は、完璧さから少し外れたところにある違和感やズレを引き受け、それを新しい表現や新しい枠組みへとつなげていくことではないか。卓越していくAIに対して、葛藤と向き合い、次の世界のあり方を導いていく。ヘタウマこそが人の役割であり、パラダイムシフトとイノベーションを導き、未来を作っていくことこそが、人の使命ともいえる。

もう一つの「脱完璧」としての「弱さ」と、かけがえのなさ

ヘタウマとは少し異なるが、同じように「完璧さ」から離れていくことの大切さについても触れたい。それは、人の「弱さ」についてである。ヨハン・セバスティアン・バッハが作曲した《無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調》の前奏曲は、チェロのために書かれた楽曲の中でも、よく知られた作品の一つである。バッハの楽譜の書きかたは、その後の多くの作曲家とは異なり、強弱や表現の指示が細かく書かれていない。そのため、演奏のあり方は、ある程度まで演奏者に委ねられている。

チェリストのヨーヨー・マがこの組曲を初めて録音したのは、1983年、27歳のときだった。その後、1997年に再録音し、2018年、62歳のときには、「自身にとって最後になるかもしれない」と述べた録音を行っている。ポッドキャスト番組『Song Exploder』でヨーヨー・マは、27歳のときの演奏は、音が均一で、すべてが計測され、よく整えられたものであった一方、62歳のときの演奏は、そこに何があるのかを改めて手探りしていくような、脆さを含んだものになったと語っている。人生経験を重ね、喪失や愛、悲劇を経験することで、人は少しずつ変わっていく。完璧さを表現しようとしていた27歳の演奏から、生きてきた経験そのものがにじむ62歳の演奏へと、音楽の姿も変わっていった。

「私は間違いも犯します。でも、『私は完璧ではないことを受け入れています』と言える、その弱さが大切なのです」と、ヨーヨー・マは語っている。完璧ではないことを受け入れたからこそ、葛藤と矛盾とともにあるからこそ、その演奏はより深みをもって流れ、かけがえのないものとなって私たちの心に響くのである。

「ヘタウマ」と「弱さ」が示す、人間の創造のありか

AIが整え、補完し、最適化する役割を担う時代に、人間ならではの価値は、完璧さを競うことではなく、既存の基準から外れた違和感やズレに目を留め、そこに価値を見いだすことにある。

創造とは、何もないところから正解を生み出すことだけではない。整いすぎた答えに違和感を抱き、あえて崩すこと。簡単には埋められない余白を残し、その意味を問い続けること。そして、既存の基準から少し外れたものや、違和感のあるものを生み出すことではないだろうか。

AIが生み出す完成度の高いアウトプットを受け取りながら、何を残し、何を崩し、そこにどのような意味を与えるのか。その選択を引き受けるところに、人間だからこその創造のありかがある。

  • 森 正弥
    博報堂DYホールディングス執行役員Chief AI Officer、 Human-Centered AI Institute代表

    1998年、慶應義塾大学経済学部卒業。外資系コンサルティング会社、グローバルインターネット企業を経て、監査法人グループにてAIおよび先端技術を活用した企業支援、産業支援に従事。
    東北大学 特任教授、内閣府AI戦略専門調査会委員、日本ディープラーニング協会 顧問。
    著訳書に、『ウェブ大変化 パワーシフトの始まり』(近代セールス社)、『グローバルAI活用企業動向調査 第5版』(共訳、デロイト トーマツ社)、『信頼できるAIへのアプローチ』(監訳、共立出版)など多数。